直球勝負

ブログというグラウンドから「スポーツライター」を目指す男の訓練の場です!主にスポーツ中心ですが、たまには関係ないことも書くのかな・・・ 記事を読んで、様々な感情を抱く方もいらっしゃるかと思いますので、いろいろとコメントをもらえると有難いです。

北海と秀岳館にの試合に見る投手起用の考えについて

 甲子園、

 自分もこの舞台を夢見て高校時代に汗を流した記憶はあるが、

 この時期になるとどうしても血が滾る、うだるような暑さも歓迎してしまう。

 今年は、オリンピックもあるなかで様々なスポーツを見るが、

 久々に甲子園の試合を初回から最終回まで試合をテレビ観戦した。

 選抜ベスト4の秀岳館(熊本)。アマチュア野球の名将、鍛治舎監督が就任3年目で甲子園の上位まで押し上げた。

 一方の北海(南北海道)は昨年に続いての出場。前回は鹿児島実業に大敗。その時には現エースの大西(3年)も登板。その時の悔しさが北海には当然ある。

  結果を書くと、終盤に猛追する秀岳館を振り切った北海が、4対3で勝利。秀岳館のエラー等の守備のミスや攻撃の粗さ、北海の勝負所の一打が光った。毎日30度を超えるような暑さの中で、とても良い試合を見せてくれた両校に改めて敬意を表する。

 

 試合が始まる前に気になっていた部分として、今年の甲子園は「継投」が多い印象を抱いている。もうすでにそういったものが高校野球界では主流になっているので、驚いたりはしないが、それにしても秀岳館は継投が多い。

 やはり、監督自身がアマチュア野球出身というのもあるだろうし、甲子園で「優勝する」ためのチームを監督主導で徹底して作り上げた部分もある。勝ちにこだわるという、ある意味プロらしいチームだ。

 準決勝でも、先発は2回前後で交代、あまり調子が良いとは言えなかったが、予め早めの交代を考えていたなかで全力投球していた。その後も継投して、結果として4投手。エースを出した後に、その後にチャンスですぐにエースに代打を出したのには驚いた。

 一方の北海は、エースの4試合4完投。決して簡単な事ではない。酷暑と疲労、責任と重圧。様々なものを背負っている。でも、試合で観た表情は晴れやかであり堂々としていた。

 

 継投策が良いか、先発完投が良いのか。勝ちにこだわるのが良いか、投手としての美学にこだわるのか。個々人の野球観の違いがあるので言論するのは難しい。この話は2007年の日本シリーズ、中日の完全試合目前の継投策にも通じる。高校野球プロ野球。部活と職業という面もあるので完全に同じとは言えないが、投手戦術としての見方は根本的には同じだ。

 先発完投型の投手で思い出すのは、松坂大輔(当時横浜高校、現ホークス)だった。98年の夏の甲子園でも1試合を除いて全て一人で投げ切る。準々決勝のPL学園戦、延長17回での250球の熱投はあまりにも有名。後の活躍は周知のとおりだが、そのようにとてつもない成績と、それをほぼ一人でやってのけるだけのタフネスは、やはり「怪物」と呼ぶにふさわしいに違いない。

 継投することによって、先ずは投手の疲労や故障の心配が少なくなる。肩やひじを壊すということは、ボールが投げられないという投手にとって最も辛い状態になる。そういった可能性を持つ以上は、選手の身を守るためにも継投はするべきだ。

 そして、試合を通じても、投手交代によって相手打者の慣れてきた目を惑わしたり、相手に傾きそうな流れを断ち切るという戦術的な側面でも有効な事だと思う。

 ただ、継投が本当に選手にとって良いことなのかとなると、そうとは限らないのでは

ないだろうか。勝負する以上は、常に勝利を求め続けるものだが、野球というスポーツにおいて、自分から動かないと試合が始まる事が無い投手というポジションは勝利以上に自分の欲望という物を持っても良いポジションだと思う。マウンドは誰にも譲りたくない、とかこの試合の主役は俺だ、といったエゴイズムを持ち合わせていても良い。

 ましてや年間144試合を数えるプロ野球とは違い、夏の十何日間という短い期間の中で3回しか訪れない晴れの舞台ならば、多少の独善的なエゴイズムは持ち合わせても良いのかと思う。ここで相手を抑えればヒーローだし世間からも認められる。その後のアマチュア野球やプロ野球でも名声と実績の中で自分らしく野球が出来る(活躍した甲子園優勝投手は決して多くはないが)。

 

 個人的な理想を言えば、今年の横浜高校のように左右の2人のエースを擁する形が良いのではないだろうか。しかも、どちらも完投する事が当たり前だともっと良い。全国レベルの投手を2人も並べるのは並大抵ではない。だが、肉体的な負担も軽くなるし、お互いに切磋琢磨できるのも技術向上に良い。そして、マウンドは誰にも譲らずに己の力でチームを勝利へといざなうことが出来ればエースとして認められる。

 継投前提の投手だと、その先のステップでは「怪物」にはなれないのではないだろうか。1人のプロ野球ファンが、お金を払ってでも見たい、どんなにも遠くの球場でも一目見たい、そう思わせる「怪物」というのは、そういったエゴイストな面も必要だ。

 それくらいのスケールの大きい投手を見てみたいと思う。奇しくも決勝戦は、どちらのチームもほとんどエースが1人で投げぬいているチームだ。甲子園初戦からずっと見続けて、プロに入っても応援したくなるような投手の出現を願ってやまない。